底辺大学生留学物語

ブログ名のまんま

留学の準備をする話②

パスポートがないと国からも出れないらしい。

実を言うと今回の留学が初めての海外。日本ですらいったことのない場所だらけなのに、日本から出るというのがなんだかおもしろおかしい。ただ、フィリピンに行くにはビザの申請はいらないらしい。なんでもあっちについてからなにやらかにやらするらしい。長ったらしい書類とかを読まなくても良いのはいいね。グッド!

 

面倒そうなことの方が大事、故に後回し。

と、言うわけでパスポートを取りに行かなくてはいけない。ネットでパスポートの申請書をダウンロード、印刷する。なにやら書くところが数箇所あるが書かない。何か間違って後日もう一回とか言われるのが面倒だから。それなら当日に職員の目の前で書いてしまった方が楽だと思った。家を出る。途中で証明写真を撮るための機械で写真を撮る。準備は万端。

 

後出しの権利、先出しの義務。

パスポートを撮るための庁舎に到着した。入口の受付の人にパスポートセンターの場所を聞く。書類と顔写真を提出して必要項目を書き進めていく。職員がそれを確認する。自分の出世上、住所などの記入に少し手間取ったがそれでも全ては無事に終わった。最後に写真を見た職員の方が言う。「目尻に髪の影がかかってるから撮り直した方がいいですよ。」

 

1回1000円。2回2000円。

証明写真というのは如何せん高すぎると思う。初っ端に機械で撮った時も1000円持ってかれた。ただ、こんなとこでつまづきたくなかった自分は再撮影を承諾した。受付の人が言うには最初の写真でもおそらくは大丈夫だが、万に一つがあると。日本人らしく安全策をとった僕は、財布から仕送りの1000円を出し、再撮影をした。カメラマンの人は購買のおばさんだった。ちょっと笑っちゃったかもしれない。

 

ジャパニーズ髭ニーズ。

その時の僕は髭を生やしていた。そこそこに毛深い僕は、2、3ヶ月伸ばしっぱなしの髭を携えて再度写真を撮った。現像した写真を持って職員のところへ行く。これなら大丈夫そうですね。と言ってその写真は徴収されていった。「ちなみに髭はいつも生やしてますか?」心臓が一瞬高く鳴った。もしここでいつもは生やしてないなどと言ったらどうなってしまうのだろうか。また髭を剃って再撮影?1000円払って?それだけは避けたかった僕は幾許かの熟考の後、いつも生やしていると言った。

 

拝啓、税関の方。こういった訳なのでどうか。

どうも税関の職員というのは、顔のパーツの配置、輪郭を特に見ているらしい。髭を生やしていると、その輪郭がぼやけるわけだ。どう考えてもそう言ったことは再撮影の前に言うべきだと思う。先出しの義務だ。なんなら僕は写真も後回しにするべきだった。前準備であまり準備しすぎるのも考えものだ。

終わりに。

パスポートを取るだけで、言いたいことが山のように出てくる。自己改革というのは面倒なことを処理していった作業の後にあるんだろう。日本から出た後が本番なのに、日本を出るだけでこんなにも疲れたくなかった。今日はここまで。ありがとう。

 

 

留学の準備をする話①

異国情緒あふれた丁寧な暮らしを。

そんなものを求めてる訳ではない。能力として、英語を喋れるようになって帰国したいだけなのだ。

考えてみると、行き詰まった後の選択肢として留学というのはありふれたものだ。逆張りの連続だった人生を送ってきた自分にとってはひどく似合わないように感じる。達観したふりをして努力する人を冷めた目で見る自分はもういない。ここからは僕のキラキラ大学生ライフが始まるのだ!

 

そんな訳もなく、三つ子の魂は永遠に。

つらつら未来の希望を書き連ねたところ申し訳ないが、全部嘘。その人の性質っていうのはきっと一生変わらないんだと思う。相変わらず、逆張りは続けるだろうし、いわゆるキラキラキャンパスライフを送ることもないだろう。ただ、少しだけ人に寄り添って生きていきたいと思った。

 

どこの国行くよ?

留学に行くにしてもまず決めなくてはいけないのはどこの国に行くか。親に金銭的な負担はかけたくない。ただ、英語の勉強をおろそかにはしたくない。ひとつも無駄にせず、血肉にして帰ってきたい。調べれるだけ調べる。少し苦手な陽気な方達の留学体験記を読み漁る。調べて、少なくとも僕の力の限り調べ切った結果、僕はフィリピンへと行くことにした。

 

バナナは嫌い。吉本ばななは好き。

幼い頃から果物は基本的になんでも好きだった。だけどバナナだけはどうしても好きになれなかった。食感とか、臭いとかじゃなくて、普通に味が駄目。パフェとかおしゃれなアイスにバナナが入っているのを見るとなんだか悲しい気持ちになったりもした。

なぜフィリピンののかと思う人もいるかもしれないが、今の非英語圏では東南アジア諸国に語学留学することは割と主流らしい。

第一に、金が安い。フィリピンの為替レートから見ると大金を払っているように見えるが、欧米諸国に比べて半額かそれ以上に安い。

第二に、マンツーマンレッスンが豊富だ。欧米諸国ではグループレッスンと称した20人程度の集団で授業をすることが一般的だそうだ。

さらに、一日当たりの授業数が多い。これらは僕の目的と完璧に一致した。目指すはフィリピン。スコールとバナナの国。地理の授業をもっと真面目に受けているんだった。

 

終わりに。

こうして僕の留学地は決定した。この時点で胃もたれするような気分だったが、まだ終わらない。留学とは、なすべきことを1つずつ丁寧に潰していった先にあるのだと、今思う。学生貧乏弾丸旅行とは何もかも違うことが、身に染みてわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

語学留学に行くことにした話

大学2年生になった。研究室は落ちた。

世の大学生たちはなんであんなに努力できるのかがわからなかった。テストの前だけ勉強するような半端者はダサいと思ってたし、GPAを高くするためだけの一日を送る奴らは気が狂っていると思ってた。無為に生活することは大学生の特権だから。せめて研究室に入る前までは爛れた生活を続けてたかった。

 

けど、研究室に落ちた。

 

募集の何ヶ月も前から第一希望の研究室に通っても、学会の発表練習に付き合っても、GPAで殴られたら敵わなかった。完全に甘く見てた。そして、彼らがどうして努力していたかを知った。

 

最悪の初体験と投影。

自慢と言う訳ではないが、自分は何かに落ちた事がなかった。高校、大学、資格etc...

正直、高校に落ちていった友達のことを理解できなかったし、これからもそうだと思ってた。そんな矢先に研究室の落選。今まで地頭だけでやってきた、薄っぺらい人生経験と自意識だけが堆積した人型が今の自分。大学生ゆえにそう言うことを理解させられるだけの時間が大量にあった。

高校の友達に電話して傷を舐めてもらって、授業を何コマかサボって。

そうやって少しずつメンタルを取り戻していく。今まで馬鹿にし尽くしてきたメンヘラみたいな作業を淡々と繰り返す。

浅野いにお岡崎京子作品で見てきた人たち。彼らに自分を投影する日が来るなんて思ってもなかった。

 

時間があると突拍子もないことを考えるようになる。

焦りは少しずつ肥大化する。膨れ上がった焦燥は少しのきっかけで爆発する。その方向性が、自分にとっては留学だった。

第一希望に落ちたと言っても募集はまだ続いている。もとより第一希望以外に行く気がなかった自分は、もちろん二の矢三の矢の用意などしていなかった。人気の研究室は一次募集でほぼ定員に達し、選択肢も少なかった。何通も何通もメールを送る。就活もこんな感じなのか、と思いながらただメールを送り続けた。少ない選択肢の中から自分は外国人の教授の研究室に配属が決まった。やりたかったことからは少しズレたが、それでもそれらしい分野の研究室に入る事ができた。ロシア系の教授は日本語を喋れない。これで問題は自分が英語を喋れないことだけだった。

 

消極的決断とは言わせたくなかった。

それからの行動は早かった。親に留学資金の援助を頼み、留学エージェントと面談をし、パスポートをとりに実家に帰る。幸い両親は留学には肯定的だった。国公立とはいえ大学の学費を払ってもらい、研究室にも落ちてしまった立場上、あまり強く出れない自分にとっては有り難かった。

親にお金を出してもらっているのだからこの留学は成功させなければいけない。この選択を消極的判断とは言わせたくない。

 

必要経費なんだろうと思う。

「失敗は成功の友」「失敗できるのは挑んだものだけ」なんと薄っぺらい名言だと思っていたが、きっとそれらは本当のことなんだと今では思う。成功体験のために必要な失敗も、人間として成長するための失敗も、おそらくとてもありふれたものなのだ。その必要経費をドブに捨てるか堆肥にするかは自分次第。

 

終わりに。

学生を騙しまくってるマルチみたいな締めになってしまいましたが、ただの学生が研究室に落選した結果、留学することにしたってだけの話です。留学のこと、大学のことをこれからも書いていきたいのでどうかよろしくお願いします。